2012年11月30日
還暦の誕生日
今日は60回目の誕生日。

早朝に地元の氏神さんへお参りし、感謝の報告。

赤いストライプのシャツに赤いネクタイで一日が過ぎていきます。
家族が今夜は「すき焼き」で祝ってくれるので、
台所が賑やかな中、集合時間が近づいてます。
我が家は3夫婦に、二男、三男、初孫の9人家族。
昭和時代は、大家族があたり前でありましたが、今では珍しいことです。
「生かされていること」に感謝しての夕飯。
微力ながら、社会貢献して行こうと思います。
感謝還暦
有難うございます。

2012年11月28日
所功先生
紅葉の綺麗な京都で会合があり、所功先生と同じテーブルとなりました。

アルコールを口にせず、お茶と料理でお相手していただきました。
先生から常に学ばさせていただき、閉会まで同じ席となりました。
今は、神奈川県にお住まいで、関西のテレビ出演等ご多忙にされていますが、
非常にお元気です。
時々ユーモアを入れながら日本の皇室についてお話下さいました。
そして、先生は私が趣味の一つに落語をしていることをご存知なので、
大きな宿題をいただきました。

宿題とは、創作落語です。先生からのテーマもいただきました。
これはえらいことになりましたが、何とか資料収集からスタートして完成したいと思います。
2012年11月22日
セミナー
元の職場である「NTT西日本」から、講演のお誘いをいただきました。
この講演はNTTユーザー協会の会員さんを対象に毎年、琵琶湖ホテルで開催されるセミナーです。
「心の荷物をおろす智慧」と題し、川村妙慶先生のご講演。
会員さんのほとんどが県内企業の代表される方々なので、開場前に重い雰囲気がありますが、
お開きの時には、和やかに皆さんが挨拶を交わし、帰社されています。
勿論、NTTの最新情報もご覧いただけるよう展示などもしていますので、実りある会となっています。
折角のお誘いなので、しっかりお聞きして来ます。
2012年11月20日
雨中の応援
過日、滋賀県で開催された
「2012びわ湖大学駅伝兼第74回関西学生対校駅伝競走大会」
天気予報どおり、早朝から雨。スタートしてからゴールまで雨の中のレースとなりました。
ゴール地点の膳所公園に着きましたが、雨のせいか観客が例年より少ない。
どうもこの大会に対する支援が滋賀県をはじめ弱いようであります。
役員の皆さんは頑張っておられますが・・・。
こう言う大会は積極的に取り組まないと他府県に取られることがあります。
過去にも「毎日マラソン」が一時、滋賀県を敬遠されたことがありました。
そのような中でも、応援する学生たちはずぶ濡れになりながら必死の応援。
この光景を多くの県民に見ていただきたいものです。
来年、この大会はどうなるのか。ちょつと、心配な気持ちで会場を後にしました。
2012年11月13日
熊本城
団体役員をしているところの総会が熊本であり、
会議の合間に熊本城へ足を運びました。
大坂城・名古屋城と共に日本三名城に数えられています。
晴天に恵まれ天守閣からの眺めに感動しました。
城内の木々は紅葉になりつつある時季なのでより一層、城が目立ちます。
6階まで上がるには膝にこたえるため、75歳ぐらいまでに上がられることをお勧めします。
あくまで、平均的な年齢ですが・・・。
クマもっとげんきな県 でした。
城の一つである熊本の象徴、熊本城。諸氏、城主を替えた後、加藤清正が天正16年(1588)に入り、優れた土木・築城技術を発揮してほぼ現在の形を完成させました。城郭周囲は5.3kmにおよび、面積は98万㎡。象徴の連立式大天守閣、小天守閣ほか、多数の櫓、櫓門、城門を備えた堂々たる城です。加藤家の改易後、細川家が入封して約240年にわたって存続しましたが、西南戦争(明治10年)の際に残念ながら天守閣等が焼失してしまいました。しかし、宇土櫓ほかの往時の櫓も残り、昭和35年(1960)には天守閣が復元され、平成20年(2008)年には本丸御殿が落成され、今に至っています。(2008/3、2009/12、2010/3、2011/1他)
日日本三名城の一つである熊本の象徴、熊本城。諸氏、城主を替えた後、加藤清正が天正16年(1588)に入り、優れた土木・築城技術を発揮してほぼ現在の形を完成させました。城郭周囲は5.3kmにおよび、面積は98万㎡。象徴の連立式大天守閣、小天守閣ほか、多数の櫓、櫓門、城門を備えた堂々たる城です。加藤家の改易後、細川家が入封して約240年にわたって存続しましたが、西南戦争(明治10年)の際に残念ながら天守閣等が焼失してしまいました。しかし、宇土櫓ほかの往時の櫓も残り、昭和35年(1960)には天守閣が復元され、平成20年(2008)年には本丸御殿が落成され、今に至っています。(2008/3、2009/12、2010/3、2011/1他)本三名城の一つである熊本の象徴、熊本城。諸氏、城主を替えた後、加藤清正が天正16年(1588)に入り、優れた土木・築城技術を発揮してほぼ現在の形を完成させました。城郭周囲は5.3kmにおよび、面積は98万㎡。象徴の連立式大天守閣、小天守閣ほか、多数の櫓、櫓門
、城門を備えた堂々たる城です。加藤家の改易後、細川家が入封して約240年にわたって存続しましたが、西南戦争(明治10年)の際に残念ながら天守閣等が焼失してしまいました。しかし、宇土櫓ほかの往時の櫓も残り、昭和35年(1960)には天守閣が復元され、平成20年(2008)年には本丸御殿が落成され、今に至っています。(2008/3、2009/12、2010/3、2011/1他)
日本三名城の一つである熊本の象徴、熊本城。諸氏、城主を替えた後、加藤清正が天正16年(1588)に入り、優れた土木・築城技術を発揮してほぼ現在の形を完成させました。城郭周囲は5.3kmにおよび、面積は98万㎡。象徴の連立式大天守閣、小天守閣ほか、多数の櫓、櫓門、城門を備えた堂々たる城です。加藤家の改易後、細川家が入封して約240年にわたって存続しましたが、西南戦争(明治10年)の際に残念ながら天守閣等が焼失してしまいました。しかし、宇土櫓ほかの往時の櫓も残り、昭和35年(1960)には天守閣が復元され、平成20年(2008)年には本丸御殿が落成され、今に至っています。(2008/3、2009/12、2010/3、2011/1他)